コラム

 

 

  • №3 日本の庭園

     

     何も無い地に、庭石が据え付けられ、樹木や花が植えられ、苔や芝生によって仕上げられれば、それだけで美しい景色にはなるでしょう。

     しかし出来上がったその庭の美しさは、単なる素材の美の陳列に過ぎないのです。最も大切な事は、生命をもった樹木や庭石といった庭園素材を、あるべき姿におさめ、全体を美しい景に構成する事であります。

     「庭園とは、土の上に美しい景を描くことである」

     千有余年、日本の庭園は、生活様式や建築様式の変化に伴い、絶えず見る人を感動の世界へと誘ってきました。そこには絶えず時代、社会が求める美意識に基づいて構成された世界があります。

    それらは自然をモチーフに、自然の景を縮景的に表現した世界、そして時には象徴的に宇宙や慣わし、或いは茶庭に見られる市中の山居と云う、町の中に有りながら、山の中の佇まいを表した世界などが挙げられます。

    そして現代は1対1のスケールで自然を取り込もうとしている時代であり、新たなる構成美の創生が、今も世界に誇る庭園文化として、内外から多くの評価が与えられています。

     最近「ナチュラルモダン」「和モダン」という言葉をよく耳にします。思想・技術・技能がなければただの薄っぺらな素材の陳列・ディティールの寄せ集めであり、文化としても人々の心にも残らないでしょう。

     伝統・文化・思想から多くの技術、技能を学び、時代が求める庭空間を創造・創出する事こそが日本庭園のはたしてきた、今後もはたすべき使命であります。

     

  • №2 デザインと模様

    デザインと模様

    図面で石や樹木・山野草を配置したり、延段や石積・竹垣の意匠を考えたり、飛び石の図面を書いたりするのはデザインであります。しかし現場ではデザインではなく模様が大事なのだと常々思います。

    石組、飛石・石積・石張・撒石・地割にしてもまず守らなければならない原理原則というものが庭園技法の中にはあります。それは自然的な要因であったり・構造的な要因であったり長年造園の歴史の中で培われてきたものであります。それはある程度デザインの中でも詳細図やスケッチによって表現することは可能でしょう。

    しかし、ここにもう一つつけたして、もうちょっと短くとか、もうちょっとむくって、しゃくって、うなずかせる・仰向かせる等といった石模様・地模様を造る作業をデザインするには限界があるでしょう。山野草の群落を造りそれをだんだん散らして景色になるように植えるのは草模様であります。当然植物の特性を理解してのことでなければなりません。

    大きな石・樹木から小石の一個・下草の一草に至るまで、土に模様を描いていき積み重ねることが、庭を造るということではないでしょうか。

     (LANDOSCAPE DESIGN 85号 掲載)

     

    続 デザインと模様 +意匠

    庭を計画・作庭する過程において、その空間の場所性を理解することが非常に重要な意味を持ってまいります。たとえ優れたデザインを確かな技術によって施工し、美しい物を造ったとしても、使う場所を間違えておればそれは甚だおかしい空間になってしまします。

    真・行・草」当たり前のように使われ、造園を志すものであれば誰しも耳にする言葉であります。茶庭には茶庭の設え、玄関周りには玄関周りに相応しい設えがあるのです。その場所の「空間性」「場所性」をふまえた素材・おさまりを選択してこそ、庭に風格が生まれるのであります。

    昨今、あられこぼしのアプローチや、花崗岩の延石や板石を配石し、その隙間を小石で敷き詰めた園路、山石の腰石積等をデザインと称して計画・作庭している施工事例が多々見受けられます。先人たちの優れた技法・おさまりを模倣しアレンジすることは決して悪いことではありません。秀逸なデザインを模倣したくなるのもよくわかります。美しく施工されているものも多々あるようです。しかしそれが「単にかっこいいもの・きれいなもの」なのか「本物の美」なのかは、場所性・空間性をふまえているか否かによって違ってまいります。使う場所・意味を理解してこそ初めてそれが「意匠」となり得るのです。

    庭とは職人の技法・技能を見せびらかす場所でなければ、美しい立派な木や石を自慢する場所でもないのです。

    優れた意匠を相応しい場所に配置し構成してこそ、人の心に残る秀逸な空間が創出されるのであります。

    要素は最大限削ぎ取って、技能はさりげなく。本物とはそういったものであります。

     

     

  • №1 知恵と感性のものづくりに懸けて

    プロが少なくなった」と嘆かれて久しく、マニュアルの氾濫はそのことを端的に表しています。そういうなかで、マニュアルに依存してはつくることのできない世界を生み出す技術と技能、それに精神を継承しているのが京都の造園です。京都は、高い見識に基づいた「ものづくり」の技術と智恵を体得した匠や優れた職人たちを育てるだけでなく、その質を評価する仕組みも具えています。日本人の精神世界を表現する庭は、発注者とつくり手の感性が相互に作用しつつ、日本文化の総体の水準を押し上げてきたといえます。マニュアルを超越し、状況変化に柔軟に対応するのが、プロのプロたる所以です。庭づくりの現場で求められるのは、設計図どおりに組み立てる能力ではなく、自然界の生き物たちと対話しながら、一つの物語を創造する力です。樹木や石には、一つしておなじ形はありません。個々の「素材の美」と、必然性のなかに安定した世界を生み出す「構成の美」を追求し、時代が求める「美の世界」を土の上に描くのが造園です。しかもその風景は、見るもの情感をかきたてるものでなければなりません。造園というのは、「智恵と感性と必然性とが生み出すものづくり」であると申せます。技法や技巧に囚われず、新しい時代にふさわしい新しい様式美の創造に挑戦しつづけることが、私たち植芳造園の使命だと考えています。

  • Copyright (C) 2012 植芳造園 All Rights Reserved.