「日本庭園は機能的でない」という意見を耳にしますが、これは大きな誤解です。「用と景」のバランスの妙こそが、京都の庭園の魅力だからです。
茶室の「つたい」のありようについて、千利休は「渡り六分に景四分」といいました。「渡り」というのは、いわば歩きやすさ。利休は、見栄えよりも機能性を重視したのです。弟子の古田織部は、「渡り四分に景六分」を好みました。この用と景のバランスは、「美の世界」の多様性と奥深さに関わるものです。
住まいでは、表通りから玄関までのアプローチや庭は、「用と景」の妙を象徴する空間です。一歩ずつゆっくりと進んでほしい場所と、さっと通過すればよい所とでは、飛石の打ち方を違えてあります。石の配置を「真行草」にたとえるなら、客人を迎える玄関には切石を整然と並べた「真」の空間。直線的な構成が「格式」を表します。庭の奥へと誘う苑路は「草」の空間。自然石で、やさしい曲線を活かします。真と草を繋ぐ「行」の空間は、切石と自然石の組み合わせを楽しんでいただけるよう配置します。つくり手の美意識が問われる空間です。
一般のお住まいの庭づくりでも、お客さまの求める機能性を充分に理解したうえで、「用と景」のバランスに配慮します。「用と景」のどちらが主張しすぎても、「美の世界」は成立しません。必然性のある配置は、おのずと使い勝手のよいものに。「用」を満たしたうえで、どこまで「美の世界」へと昇華させられるか――それがプロの力量です。