水に恵まれた京都では、水を巧みに採り入れた庭が数多くつくられてきました。朝露に輝く野草、枝先に光る水滴、軽やかな水音をたてる野筋のせせらぎ、風の表情を映す水鏡。水がつくりだす景もまた、自然の理のなかで安定します。
森林に降り注いだ雨は、地中を通って浄化されます。伏流水は湧き水となり、小さな滴は集約されて谷を滑り降り、断崖で一気に落下します。滝は、その水量に比例するサイズの森を背後に抱えているのです。滝をつくる場合には、石組みの構成美を見せるよりも、「あの森がこの水を育んだんだな」と感じられる必然性を演出することを重視しています。
滝から勢いよく落ちた水は、徐々にやさしい流れになって、いくつもの流れと合流し、やがては大海に注ぎ込みます。滝のそばには険しい石を配し、離れるにつれて丸みをおびた石にするのが自然の摂理にかなった配置です。これを逆にすると、造形的には斬新でも、見る者の心は落ち着きません。自然界にはない風景だからです。
梅小路公園「朱雀の庭」で挑戦した「紅葉渓」は、京都北部の山間の風情をイメージし、渓谷から山裾の河原につづく水の流れを縮景的に構成しています。雨の日には下草の間にも水があふれ、小石を敷き詰めた河原は一面水浸しになり、日照りがつづけば川底が現れます。水が少なくても多くても、安定した景として成立する空間づくりをめざしました。あたかもそこで時を重ねてきたかのように……