野山に育つ樹木は、地形や日照、水や風の流れ、人の営みとの関わり方など、さまざまな影響を受けながら時を重ね、成長します。樹木はほんらい、天をめざしてまっすぐに伸びるものです。幹が曲がっているとしたら、その方向にしか伸びる空間がないか、反対側に自分よりも強い木があるかのどちらか。
形にはすべて必然性があり、意味があります。河原の岩は、山から崩れ落ち、水に流されて転がりながら丸くなり、そこに留まっています。
ほんものの自然は時間がつくりだしますが、造園家はその一瞬の風景を切り取って、眼前に再現しようとします。別べつの場所で時を重ねてきた素材を集め、まったく新しい必然性をつくりだします。しかし、巨大な滝石組みなど、大胆な発想を展開しても、最終的に安定した空間が生まれなければ、景としては成りたちません。数百年も前からそこにあったかのような姿に構成するには、自然の摂理に目を凝らし、数十トンの石のわずか1センチの位置にこだわり、ひたすら感性を磨きつづけるしかありません。技法や技巧は「隠し味」にすぎません。
美しく安定した景は、それぞれの植物の風情や風の流れを感じさせます。あたりまえのことをあたりまえに表現する、それでいて単純に美しい――それがいちばん難しいのです。