新たに日本庭園をつくろうとするとき、「従来の庭はいらない」という意見がしばしば出ます。そういうときの「従来の庭」とは、どのような庭園を指しているのでしょうか。千年を越える日本の造園の歴史を、「従来の」の一言で総括することなど、とうていできるものではありません。
みなさんが抱かれる「日本庭園」のイメージは、古い様式美を具えた庭であることが多いようです。たとえば庭木は、きちんと仕立て上げた松を主体につくるものだとされていた
時代がありました。そのような流行が、「日本庭園は高くつく」という先入観を植え付けることにも繋がったようです。しかし、これは誤解です。それは一つの様式であって、そうでなければ美しくないというものではありません。
私どもは、庭という空間が見る者の心にいかに新鮮な感動を与えられるかが、つくり手がどれだけ新しいメッセージを発信しているかが日本庭園の、つまりは京都庭園の原点ではないかと考えています。