「素材の美」と「構成美」との巧みな組み合わせによって、そこに一つの「景をつくる」のが造園。「素材の美」だけに囚われて、枝ぶりの立派な松を捉えて、春は桜、秋は紅葉、冬には梅を咲かせようと詰め込むような「足し算」は、愚鈍な「モノの美」の陳列にすぎません。
「美の世界」は究極の「引き算」。一つの景を印象的に浮かび上がらせるために、余計なものはすべて捨て去る世界。高価な松や紅葉がなくとも、一坪の土地さえがあれば、四季の移ろいを感じさせる庭をつくることはできます。
そのうえで、「なにを見せるか」ではなく、「なにを感じてもらうか」を、造園家はみずから問いかけます。コンセプトは重要ですが、「この庭はこう見てください」と札を立てるわけにはゆきません。できあがった景がなにを表現しているのか、それが見る者の心にどう響くか、これがすべてです。
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